参考書は、買った日がいちばん賢い。

面談で、お子さんの本棚の写真を見せていただくことがあります。英単語帳が二冊、英文法の問題集が三冊、現代文の「基礎」と「基礎の基礎」。どれも背表紙がきれいで、ページの角に折れ目がありません。写真を見ながら親御さまがおっしゃるのは、だいたい同じ一言です。「これだけ買ってあるのに、やらないんです」。本人はそのとき、たいてい横を向いています。

私の返事も、だいたい同じです。「買った日は、やる気があったんですよね」。親御さまも本人も、うなずきます。そうです。参考書は買った日がいちばん賢い。その日は全部やるつもりでいますから、頭の中ではもう英語ができています。翌日から「どれから手をつけるか」という問いが始まり、そこから賢さは日に日に目減りしていきます。本は一ミリも動いていないのに。

私の台所にも本棚があります

先に白状しておきます。私の台所にはガラムマサラが二袋あります。一袋目を開ける前に二袋目を買いました。カレーをきちんと作ろうと思い立ち、クミン、コリアンダー、カルダモンと揃えたのが三年ほど前のことで、揃えた日の私は、自宅でインド料理店を開ける気でいました。作ったカレーの回数はゼロです。先に来たのは、賞味期限でした。

本も同じです。読もうと思って買った本が、枕元に積んであります。積んだ背表紙を眺めていると、読んだ気がしてきます。四十八歳になっても治りません。治らないどころか、老眼で背表紙の字が読みづらくなった分、眺める時間だけが増えました。

ですから、本棚いっぱいの参考書を前に「やる気がない」と言われている子を、私は笑えません。やる気はあったのです。買った日に、全部使い切っただけです。

二十年ほど塾の仕事をして、延べ数千人の受験生を見てきましたが、本棚がいっぱいの子は、だいたい真面目です。真面目だからこそ、全部そろえてから始めようとします。そして、全部そろう日は来ません。本屋が毎月、増やすからです。

細かく分けるのは、教える側の都合です

昔のブログにも書いたことですが、私立文系の受験に必要なのは英語、世界史、現代文、古文の四つしかありません。ところが本屋の棚に行くと、「英単語」「英文法基礎」「英文解釈基礎」、以下、長文、和訳、英作文と枝分かれして、英語だけで棚が一本埋まっています。この細分化が受験生のためというより教える側と売る側の都合だということは、受験生当時からうすうす気づいてはいました。塾を経営して教える側に回り、はっきり分かりました。

受験生に限った話でもありません。学校を休んでいる子の机にも、「中学英語のやり直し」が出版社違いで三冊並んでいたりします。やり直しの、やり直しです。

厄介なのは、消化できるはずもない量を、本人が嬉しそうに揃えてしまうことです。揃えた日は、全体像を手に入れた気がします。私もそうでした。受験生だったころの私の机には、英文法の本が四冊ありました。最後まで終えたのは一冊です。残りの三冊は、一冊目が終わるまでの「お守り」でした。お守りですから、開きません。

理由は単純で、処理できません。十冊あれば十冊分の進み具合を管理しなければならず、管理しているうちに今日が終わります。一冊なら、開いたページが今日の全部です。

検索は、勉強の顔をした休憩です

本棚より最近よく見るのが、スマホの検索履歴です。「参考書 ルート」「英語 やり直し どこから」。履歴は何十件、開いた参考書はゼロ。

検索している本人は勉強しているつもりですし、実際に情報は増えています。昨日まで知らなかった参考書の名前を五つ覚え、ルートと呼ばれる順番を三種類覚えました。覚えた分だけ、どれから始めるかが分からなくなります。選択肢が一つ増えるたびに比べる組み合わせが増え、比べているうちに夜になります。情報を足すほど、始まりません。

話は変わりますが、私は走るために靴を買おうとして、三週間ほど靴のレビューを読み比べたことがあります。読み終わるころには靴にずいぶん詳しくなっていました。走った距離はゼロです。靴がなくても走れることに気づいたのは、四週目でした。

ようやく本題に戻りまして、検索も参考書も、続けているあいだは安心です。選んでいる段階にいる限り、まだ間違えていないからです。一冊を開いた瞬間に、残りの九冊を選ばなかった自分が確定します。あれが怖い。私も怖いです。だから選び続けるのですが、選び続ける人の靴は、だいたい箱に入ったままです。

親御さまが、つい足してしまうもの

本人が足しているだけなら、まだ話は簡単です。実際には親御さまも足しています。評判の良い参考書を買ってきてくださり、評判の良い講座を申し込んでくださり、ついでに「あの子はこれで伸びたらしい」という話まで持ち帰ってくださいます。全部、善意です。善意ですから断りにくく、断れないので本棚に並び、並んだ分だけ「どれから」が増えます。

昔のブログに、「親が(塾が・先生が・親戚のおじさんの嫁の弟の友人の幼馴染が)うるさいから勉強できない」と平気で言い出す受験生がいる、と書いたことがあります。言い訳の材料は多ければ多いほど便利でして、参考書が十冊あれば「どれがいいか分からない」が、講座が三つあれば「時間が合わない」が、それぞれ自動的にできあがります。責めているのではありません。私も、ガラムマサラが二袋あることで、どちらから開けるかを三年考えています。

当時は「勉強に関しては一切口を出さないでください」と、ずいぶん強く書いていました。いまはもう少し弱めて、「足す前に、一回だけ数えてください」にしています。本棚に何冊あるか。そのうち、開いた形跡のある本は何冊か。開いた本が一冊もなければ、足りないのは十一冊目ではないでしょう。それでも足したくなる気持ちは分かります。何かを買っているあいだは、親御さまも「まだ間違えていない」側にいられますから。選び続けているのは、本人だけではないようです。

再始動ラボは、引き算から始めます

再始動ラボでは、最初に本棚を減らしてもらいます。減らすといっても捨てるわけではなく、一冊を机に残して、残りを本人の視界から外すだけです。二冊残す子もいますが、三冊目はこちらでお預かりします。お預かりした本を私が読むわけではありません。読んだら私が賢くなってしまいます。

次に、残った一冊の、今日開くページを決めます。「一章」だと多すぎるので、「十二ページ」まで絞ります。ページまで決めると、検索する余地がなくなります。検索しても、十二ページは変わらないからです。意志の問題だと言われることが多いのですが、意志で何とかなるなら、私のガラムマサラはとっくに空になっています。

いいですか、と教室で言っていたころの調子で書きたくなりますが、面談の机越しの調子で申し上げます。本人も親御さまも、何かを足す前に、一冊と一ページを決めてください。決めたページを開くまでは、検索も本屋もお休みです。開いたあとは、ご自由に。十二ページを終えたあとに買う本は、たぶん読みます。買った日の次の日も、賢いままでいられます。

ちなみに私のガラムマサラは、今夜、一袋目を開ける予定です。予定です。

短縮版は note にも掲載しています。