受験情報だけ偏差値70
面談の席で、英単語帳の名前をひとつ、何気なく口にしてみることがあります。学校に行っていない子はネットと動画が学校の代わりになりやすく、その反応で受験に対してどういうイメージを持っているか推し量ることがあります。先日の子は、英単語帳の名前を聞いた途端に顔が明るくなり、対象レベルと到達偏差値、旧版と改訂版の違い、評判のいい使い方、その本を終えたら次に何をやるのが定石か、その次の本の評判が割れていることまで、こちらが何も聞かないうちに一気に話してくれました。塾を20年やっている私も、改訂版と旧版で何が変わったかまでは詳細に押さえていないもので、ずいぶんと驚かされました。
本人に「それで、今は何ページまで進んでいますか?」と聞くと、まだ買っていないとのことでした。改訂版がもうすぐ出るらしいので、出てから買うそうです。模試はまだ受けていません。受験情報の偏差値は70を軽く超えているのに本人の偏差値は不明という状況です。
私より詳しい
細かい部分は変えてありますが、実はこの手の子は珍しくありません。長く見てきた中では、むしろ勉強が止まっている子の中で一番多い型かもしれません。参考書のレビューを読み比べ、勉強法の動画を見比べ、どの本をどの順番でやれば何月に偏差値がいくつになるかという表まで頭に入っています。夜中までレビューを見比べているのですから怠けてはいません。怠けていないのに一ページも進まないというのが、この型の厄介なところです。
受験情報に妙に詳しく、参考書をたくさん持っていて、講習と聞けば飛び付く。この三つが揃った受験生は、残念ながら大抵自滅します。理由は単純、処理できません。ただ、自滅という言葉は、今は面談では使いません。処理できないのは本人の頭ではなく、量の方だからです。今の情報の量は私が受験生だった頃の比ではなく、私がその歳で今の環境にいたら、間違いなく改訂版を待つ側に回っていたでしょう。
情報は、入った瞬間に進んだ気がする
困ったことに、受験情報を処理しているときの感触は勉強が進んでいるときの感触とほとんど同じです。動画を一本見ると、見る前より確実に賢くなっています。もちろん受験参考書の選び方について賢くなっているのであって、英語については1ミリも賢くなっていないのですが、頭の方はその区別をしてくれません。昨日より知っていることが増えた、という満足だけが残り、その満足で一日が終わります。
しかも情報には、本と違って、終わりがありません。本は一冊やれば一冊減りますが、レビューは読めば読むほど次のレビューが出てきますし、動画は一本見終わると次の一本が勝手に始まります。出している側は再生された時点で目的を果たしていて、見た人がそのあと机に向かったかどうかまでは数えていません。見た分だけ進んだつもりで数えているのは、本人だけです。
選択肢が増えるほど、手が止まる
調べれば調べるほど、やるべき本は増えていきます。一冊で済むはずの科目が基礎用と標準用と演習用に分かれ、それぞれに評判のいい本が二冊ずつあって、どれを選ぶにも理由が要ります。選ぶ理由を探している時間は、ページが一枚も減りません。その一方で、選ばない理由の方は、調べた分だけ手元に揃っています。この本は自分のレベルに合わないらしい、こっちは改訂版待ち、あっちは動画の人が薦めていなかった。選択肢が増えると、言い訳も同じ数だけ増えるのです。
選択肢が二つなら、迷っても夕方には決まります。二十あると、決める前に夜になります。決まらないまま夜になった日は調べたことだけが残りますから、翌日はさらに詳しくなった状態で同じ悩みに戻ってきます。こうして情報の偏差値だけが毎晩少しずつ上がり、本人は自分が勉強していない理由を誰よりも正確に説明できるようになります。曰く、「その単語帳は訳語のパターンが少なくて覚えにくい」など。
地区予選、上の下
ここで少し脱線します。私は小学校から高校までサッカー部で、高校時代はそこそこ頑張っていて、戦績は地区予選で上の下程度でした。その頃はサッカー雑誌を隅から隅まで読んでいて、海外のクラブのフォーメーションの違いから、監督交代で戦術がどう変わったか、誰がどこへ移籍しそうかまで、部内で一番詳しかったのは間違いなく私です。試合中にフォーメーションの名前を叫んだこともあります。
知っていることとできることが別の軸にあるというのは、サッカーなら誰でも分かります。雑誌の知識で足が速くなると思っている中学生はいないでしょう。ところが受験になると、この当たり前が急に見えなくなります。英単語帳の到達偏差値を知っていることと、英単語を知っていることは、中身は全く別なのに用語がほとんど同じだからです。
ようやく本題に戻りますが、受験にも軸は二本あります。学力の軸と、机に座って続けられるかという軸です。情報に詳しい子は、二本目の軸をまだ一度も使っていないまま、一本目の軸について誰よりも詳しくなっています。
そう、こんな無益なことはもうやめましょう。
受験情報を調べても前には進めません。前に進みたければ、英単語帳を開いて、1語でもいいから暗記するしかないのです。
検索窓を一週間、閉じる
再始動ラボで最初に約束するのは、やる本を決めることより先に、一週間、参考書の名前を検索しないことです。動画も、比較の記事も、レビューも止めます。情報を絶つのはつらいだろうと思われるかもしれませんが、実際にやってもらうと、本人が一番ほっとします。どれが正解かを毎晩探し続ける仕事から、一週間だけ降りられるからです。その間にやることは、今手元にある本の、今開いているページの、次の見開きだけです。改訂版を待っている本があるなら、旧版を買います。改訂で変わる部分より、みなさんがまだ開いていない部分の方が、遥かに大きいです。
一週間経つと、情報がひとつ増えています。自分がその本を一週間でどの位進められるか、という情報です。これはどのレビューにも書いてありません。レビューを書いた人は、みなさんの部屋の机を見たことがないからです。この一行があると、次に何をやるかは、ほとんど迷わずに決まります。情報が役に立つのは、始める前ではなく、三ページやった後です。