「それ、もう全部試しました」から始まる面談
私が今まで実施してきた面談の最初の10分は、大体、親御さまの時間です。鞄から手帳か、スマホのメモを出して、中学二年の秋に行かなくなったところから順番に、どこに相談して、どこに通わせて、どれくらいで行かなくなったかを、年表のように話してくださいます。隣の本人は、来ていれば椅子の背もたれに体を預けて窓の方を見ていますし、来ていなければ、午後の面談であっても、たぶんまだ家で寝ています。年表が今年に追いついたところで親御さまはひと息ついて、「もう全部試しました」と言われます。この言葉を聞いた回数はもう数えていません。
全部の中身
年表に出てきたものを面談の後で紙に書き出してみると、量の割に種類が少ないことに気付きます。個別指導の塾、家庭教師、オンラインの塾、ここまでが教える系です。フリースクール、スクールカウンセラーとの面談、学校の別室登校、ここまでが休ませる系です。そして、声かけの本、担任からの電話、合格した先輩の体験談の動画、受かったら何々を買う約束、これが励ます系です。どれもきちんとした、必要なものばかりで、ひとつも無駄だとは思いません。ただ、指導と居場所と精神論の三種類しかなく、その三つを順番に試して三年かけている間、本人が机に座って何かを一ページ開く、という場面が年表のどこにも出てきません。「全部試した」の全部は、売っているものの全部です。売っていないものは試していないことが多い。無料なのに。
教える人は、座っている子を待っています
塾の初回面談で渡されるのは週三日のコマ表で、家庭教師が最初に聞くのは「どこが分からないか」です。どちらも机の前に座る子がいる前提で作られていて、その前提は普通の高校生なら満たしています。学校に行かなくなって二年経った子は、分からないところを聞かれても、どこから分からなくなったのかが分からず、分からないと答えるのも恥ずかしいので、頷いて帰ってきます。三回目から行かなくなるのはそのためで、教え方が悪かったのでも、本人が怠けたのでもありません。塾はまだ早い子がいます。
フリースクールは逆で、座らなくていい場所です。休めることは大事で、休めていない子に何を言っても始まりませんから、順番としては正しいです。ただ、休めた子が自動で机に戻るかというと、そういう仕組みにはなっていません。通信制に移って自分のペースでやってください、という言葉も、ペースを自分で作れる子にはいい言葉で、作れない子にとっては丁寧な言い方をした放置になります。休むのは居場所の仕事で、教えるのは塾の仕事で、始めるのは誰の仕事でもないまま、それぞれ別々の窓口で売られています。それをつないで持ち帰るのはいつも親御さまで、持ち帰った先で、本人が今日も開かなかった、という形になります。
2004年に塾を始めてしばらく経った頃、学力の他にもうひとつ軸を置かないと生徒の様子が分からない、と思ったことがあります。当時は粘り強さと呼んでいて、途中で諦めているように見える子も努力の量は足りていて、方向だけが違うのだと書いていました。今はその軸はもっと手前にあって、座ったか座っていないか、その位の話だと思っています。親御さまの年表も同じで、努力の量は十分すぎるほどで、足りないのは方向だけです。
荷台を持つ人
少し脱線しますが、補助輪を外した日のことを思い出してください。自分の時でも、お子さんの時でも構いません。あの日に必要だったのは、新しい自転車でも、広い公園でも、頑張れという声でもなく、後ろで荷台を支えて一緒に走ってくれる誰かでした。それも最初の三メートルだけで、スピードが出たら手を離してよく、離したことは本人にしばらく黙っておいていいものです。「もう全部試しました」の年表には、良い自転車と、安全な公園と、応援は出てきますが、荷台を持って一緒に走った人だけが出てきません。良い自転車を買い足しても、乗らない自転車が二台になるだけです。
そして初めての自転車の場合、荷台を持つ前に親なら誰でも無意識にやることがあって、それはサドルの高さを本人の足に合わせることです。大人用の自転車に小学生をまたがらせて、後ろで持ってやるから漕げと言っても、足が地面に着かないのですから、転んで終わりです。どの塾がいいかを選ぶ前に、塾かどうかの前に、足の長さとサドルの高さを合わせます。再始動ラボが面談の最初にやっているのは、それだけです。
十一番目を足す前に
ですので、面談で私が伺うのは、次に何を試すか、ではありません。昨日は何時に起きたか、昼ご飯は食べたか、机の上に何が載っているか、最後に何でもいいから一ページ開いたのはいつか、といったことです。親御さまは拍子抜けした顔をされますが、本人は意外と答えてくれます。面白いのは、同じ質問に親御さまと本人の答えが食い違うことで、親御さまは「全くやっていません」と言い、本人は「たまに英単語は見ています」と言います。どちらも嘘ではなく、英単語を見ていたのが夜中の三時で、親御さまは寝ていただけです。年表には載らないこういう昨日の一日の方が、次に何をすればいいかを、三年分の年表よりはるかによく教えてくれます。
長く見てきた中では、全部試した親御さまに連れて来られる子が一番多く、珍しくもなければ手遅れでもありません。止まっている場所は本人の机の前の一箇所だけですから、動き出しそのものだけがまだ誰も試していない場所として残っています。